今日は、夏休みを取った。
 
ふと見ると・・・
永らく駐車場(一時期は旧・小文字病院の職員駐車場)だった空地(ちなみに、そのずっと以前は
大きな1軒の民家)だった、空き地にユンボが入り、工事が始まっている・・・
 
あれぇ?
うーん、なんかレンガの構造物が見えるぞぉ。
(位置的に)すぐに、ピーンときた。
  

 
ここには、かつて鉄道があった。
この東側の敷地(マルショク エル大畠等)は、旧・小倉炭鉱の跡地。
レンガ遺構の位置は、その敷地の西端を走っていた国鉄線路の跡地。
 
昭和30年代まで走っていた、旧・添田線(日田線)の鉄道遺構。鉄橋の橋台ですね。
 
元々は、小倉鉄道という私鉄が、大正時代に敷設。
その後の戦時。他の私鉄同様、ご多分に漏れず、国有化される。
その旧・添田線は、その後、日田線、さらにその後は、日田英彦山線と名を変えている。
 
現在は城野駅が起点だが、最初は東小倉-(砂津)-妙見-(水町信号場)-石田・・・の路線で
あった。(以前、「本館」ブログにて、写真を掲載した区間)
 
かの、松本清張が、当時住んでいた黒原(黒住?)の自宅から、、勤務先である朝日新聞
西部本社(砂津にあった)まで、この線路上を徒歩で出勤していた、と、どこかで見ましたが・・・
(追補:「雲のうえ」11号/「九州・鉄道歴史探訪」弓削信夫・著)
 
ここから、すぐ南側の、別の川辺に、レンガ積みの橋台(上に建物)があることは、広く知ら
れている。が・・・まさか、同じような橋台が、ここにも埋もれていたとは・・・
 
廃線から約半世紀ぶりに姿を現した、この橋台。幸か不幸か、ただいま、掘込式の駐車場?
建設中。建売住宅が建つそうです。いつまで拝めるやら・・・
  
思い切って、工事現場に近づいて写真を撮っていると、レンガ構造物の上にいた工事関係者
に話しかけらる。
「ここ、掘っていたら下のほうからボタ(石炭がら)が出てきたよ。」
「ああ、そうですね、ここ、小倉炭鉱の跡地でもあるので。」
「ところで、これ何?」
「鉄道の線路の跡でしょう。昔、鉄道が走っていたんですよ」
 
さて、どうしよう。これ、すごい発見じゃないの。
実は、午後から博多。ホークスの試合観戦に出かけるので時間がない。とりあえず、ここに
書いて、この付近の廃線跡を辿った記事がある鉄道関係ブログに書いて、メールして、つい
でに、我が家がとっている新聞社の報道に電話して・・・反応はイマイチだったけど。
 
<追記>
※7月26日現在、掘り下げられて取り残されていた道路側のコンクリ石垣が撤去されたため、
  市道からも、この橋梁遺構が見えています。
※7月27日、レンガの南端が、かなり歪になってきました。
 
この日以降の状況は、また別に書きます。